伊能小図発見 2002-08-09



東京国立博物館で発見された伊能小図について
― 博物館の発表に伊能忠敬研究会で加筆したもの ―

新発見の「伊能図」について

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 東京国立博物館所蔵の『日本国図』について、文政4(1821)年、伊能忠敬が江戸幕府に 上呈した大日本沿海実測全図(いわゆる「伊能図」)のうちの「小図」の限りなく正本に近い 「副本」であることが確認されました。
 この「伊能図」は3枚揃いの地図で、日本全国をカバーする完本です。このように3枚揃った 「小図」は、イギリスのグリニッジ海事博物館所蔵の一例が確認されているのみで、国内で発見 されたのは初めてのことです。また、イギリスの「伊能図」が写本であるのに対し、この『日本国図』は、 伊能忠敬とその門人たちが自ら制作に関わったオリジナルのものであります。伊能らは、正式に提出した 上呈本(正本)のほかに、下図から針突法(しんとつほう)により正確に写した「副本」を数部 制作していました。今回調査を行った東京国立博物館所蔵の『日本国図』は、その「副本」である ことが博物館所蔵の資料からも確認されました。「伊能小図」において「副本」が確認されたのは、 世界でも初めての例です。
 副本といっても、幕府機関である昌平坂学問所に提出された副本ですから、諸大名の希望に応じて 提供された副本あるいは伊能家に控としての残された副本とは性格を全く異にします。 いわゆる本物であり、すべて失われたという上呈本に準ずる内容をもっていると考えられます。 現存する大、中、小の全伊能図を通して本物の発見ははじめてであります。



 一、 概 要

 『日本国図』当館列品番号A9349
  紙本着色 3幅
   ①東部 東北地方から近畿地方まで 縦250㌢、横163㌢
   ②蝦夷地 北海道            縦161㌢、横178㌢
   ③西部 中国・四国・九州        縦206㌢、横162㌢
  各図とも下部に「昌平坂学問所」の朱印が押捺されている

 1. 『日本国図』は伊能忠敬が文政4(1821)年、江戸幕府に上呈した地図のうちの「小図」の 「副本」(以下東博本「伊能小図」とする)であることが確認された経緯は、以下のとおりである。
当館保管の『浅草文庫献納書目 一』に次のような記載がある。
「七十号 実測図 三枚、右一部三枚 文政五年三月 献主 高橋作左衛門景保」 明治5年、旧幕府の昌平坂学問所や和学講談所の書籍を引き継いで、 近代日本の最初の国立図書館ともいえる書籍館(しょじゃくかん)が博物館の一部として開館した。 明治7年、この書籍館が浅草に移転し名称を改めたのが「浅草文庫」(あさくさぶんこ)である。 『浅草文庫献納書目 一』は、明治8年に作成されたもので、上記の地図に関する記述は昌平坂学問所 献納本の項にある。これは東博本「伊能小図」にある「昌平坂学問所」の朱印と合致する。 よって、この書目にある「実測図」が東博本「伊能小図」にあたると考えられる。

 2. 東博本「伊能小図」は針突法により作図したものである。針突法による作図は「伊能図」の 顕著な特徴であるが、これまでに確認されている4例の「伊能小図」(英国・グリニッジ海事 博物館蔵品、神戸市立博物館蔵品、都立中央図書館蔵品、個人蔵品)は写本で、いずれも針突法 による作図ではない。東博本「伊能小図」は、針突法による「伊能小図」の最初の確認例であり、 この地図が「副本」であることを裏付けるものである。

 3. 東博本「伊能小図」は3幅完存である。蝦夷地、東部、西部の3枚完存本は、これまで英国・ グリニッジ海事博物館保管の1例だけが確認されていたが、東博本「伊能小図」はその2例目で、 日本で発見されたのは初めてである。描画の特長からグリニッジ小図は東博本「伊能小図」の 写本である可能性がある。

   二、 「伊能図」発見の経緯

九州国立博物館(福岡県太宰府市に平成17年度秋開館予定)開設準備に際し、国立博物館 研究員による調査(東京国立博物館と九州国立博物館設立準備室の合同調査)が行われた。その なかで、この地図が「伊能図」であることが確認された。名称が『日本国図』とされていたため、 「伊能図」であることが知られていなかったのである。さらに専門家である渡辺一郎(伊能忠敬 研究会代表理事)、紺野浩幸(伊能忠敬記念館学芸員)の両氏にも判断を仰ぎ、今回の 発表に至った。


   三、  東京国立博物館が所蔵するに至った経緯など

『日本国図』下部に「昌平坂学問所」の朱印が押捺されている。この朱印は、本図が江戸時代末に、 個人から江戸幕府の官学である昌平黌へ献納されたものであることを示している。
 その後、東京国立博物館の前身である書籍館、浅草文庫を経て当館歴史課、後に美術課の 保管となり、現在に至った。しかし個人といっても、高橋景保は天文方髙橋役所という 一つの機関であり、伊能らに命じて地図を作ること職務とするのであるから、個人の蔵品 を謹呈したという性格ではなく、業務としての提出と考えておかしくないだろう。











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